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障害は個性?それとも病気?

クリティカルシンキング 批判的思考

クリティカル・シンキングは、日本語にすると「批判的思考」と訳されることから、”粗探し”をするイメージを持ってしまうかもしれませんが、決して欠点を指摘するための思考法ではありません。「本当にこれで正しいのか」という視点を持って物事を見ることで、より正しい論理につなげていく思考法のことです。今日はこの思考法を使って、タイトルにある『障害は個性?それとも病気?』について一人ディベイトをしていみたいと思います。不快になる方はお読みいただかない方が良いかもしれません。ですが、私は幸せになるために使う言葉を選ぶときにこの方法を使います。世論に対しての正論ではありません。あくまでも、私の一人ディベイトであることをご理解いただけることに心から感謝いたします。

私のなりたい私になるために

私は障害という言葉を使わず、『個性』という言葉を選びます。そして、障害は病気とは捉えません。個性であると受け止めるだけです。すべては私が幸せになると決めているための言葉選びだからです。それは決して、現実逃避でも無理にポジティブに考えようとしているわけではありません。ただ、幸せになると決めたからには、最善の言葉選びであり本当にそのように思うからです。ですが、きっと今の状況にならなければ思うことが出来なかったかもしれません。いいえ、言い換えるならば、真意を知るために息子との出会いがあったのだと思います。

一期一会から学ぶこと

トリプルスター(難聴・脳性麻痺・自閉)の息子を通してのママ友の出会いがあります。近い境遇や同じ個性を持つ子ども達と出会えることはとても人生の学びになります。人は個性のある子どもを授かった人を不幸と思うのでしょうか。それはそのように思う人が不幸なのだと思います。なぜなら人は、自分の思いの中で生きているからです。私がどんなに息子を愛していても彼の思考の中で私が生きることはできない事と同じです。人はそのことを知っているのにも関わらず、なぜ人の目や意見を気にするのでしょうか。でも、それも人間なんだと思います。人と比べてお互いに学び合うために生まれてきたのです。同じ個性を持つママ友の間でも、個性の段階が違います。そこでもまた、大きな学びと感動があります。重度の脳性麻痺の子どもを持つ友人がいます。彼女の言葉にグッと熱い思いがあふれてきて涙をこらえたことがありました。それは、あまりにも彼女が自然でそしてありのままの息子さんを愛している言葉だったからです。

『彼は天使だから。ただ、そばにいてくれればいいの。』

この言葉の前に、彼女は日常を淡々と笑顔で話します。『体はすっかり私より大きくなったから、主人と二人でお風呂に入れるのはもう無理なのよね。最近、けいれんしてるんだけど、問題のない反射反応とドクターに説明されてホッとしてるの。』と愛しい子の手をさすりながら笑顔で話していました。彼女の日常を重くも軽くも、勝手な私の解釈で受け止めないのです。ただそうであるという、ありのままの彼女の愛を感じるだけなのです。

言霊の力

障害と個性の言葉の意味と力に注目してほしいのです。我が子には、障害があります。という会話は私のママ友との間では使われないのです。日常の会話に障害という言葉がありません。これは海外に住んでいるからではありません。あるのは害ではなく、そうであるという事実だけだからです。もし、我が子を表現する必要があるのなら、私は個性という言葉を選びます。人は感情で生きているのだから、私が心地よい言葉を選ぶだけです。なぜなら、幸せになると決めたので、言葉の力を使ってさらりとね。それに、まず害だとは私は思っていません。右脳人間な彼らは、私たちが使えない力を持ち、存在だけで愛と感謝を伝える力がある人間力を感じているからです。

最後に病気という言葉の解釈に注目していみます。『病は気から』という解釈でいくなら、愛されている子どもは『気は病んでいない』と思います。富士山が今日も美しいと思うぐらいに愛をしっかりと受けている子の瞳はキラキラと宝石そのものだと私は思うからです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。